一人暮らしで初めて気づいた「音」という侵入者
前回の記事で、私が「ミソフォニア」という言葉に出会うまでに10年以上かかったことをお話ししました。
今回の記事では、その原点となった体験──一人暮らしを始めて、初めて「音」という存在に正面から気づいてしまった頃のことを振り返ります。
「やっと念願の一人暮らしを始めたのに、家にいるのがつらい」「生活音が気になりすぎて休まらない」。そんな感覚に心当たりのある方に向けて、どんな音がつらかったのか、なぜ怖くなってしまったのかを具体的に言葉にしてみました。
同じように音に悩んでいる方や、身近な人の「音のしんどさ」を理解したい方の小さな手がかりになればうれしいです。
静かなはずの部屋で、私は音に気づいた
念願の一人暮らし。
誰にも気を遣わなくていい、自分だけの空間。新しい生活への期待に胸を膨らませていました。
実家にいた頃も、音に敏感な自覚はどこかにありました。父の大きなくしゃみ、母が台所で料理する音、きょうだいの足音──そうした家族の生活音は、「当たり前の音」として私の日常に溶け込んでいたのだと思います。
ところが、一人暮らしの部屋は違いました。
静かなはずなのに、静かではない。むしろ、その静けさの中に、無数の「音」が潜んでいることに気づいてしまったのです。
そこから、「音」に意識を奪われる日々が始まりました。
最初に気づいたのは、屋外からの音
最初に気になり始めたのは、屋外から聞こえてくる音でした。
風が吹くたびに、どこかで何かが鳴る。
おそらく、近くのベランダに置かれた物が柵に当たっているのでしょう。カタン、カタン……。不規則で、いつ鳴るか予測できない音。止まったと思ったら、また風が吹いて、カタン。
その音が聞こえるたびに、私の身体はこわばりました。
次に、雨の日。
雨音そのものは嫌いではありません。でも、どこからか聞こえてくる、雨水が滴り落ちる音。ポタ、ポタ、ポタ……規則的なリズムなのに、自分では止められない。窓を閉めても、布団をかぶっても、その音は耳に張り付いて離れませんでした。
後から知ったのですが、こういった音は室内の通気口や換気扇を通じて響いてくることがあるそうです。建物の構造上、完全に遮断するのは難しい音なのだと知ってからも、「止められない音」として私の頭に残り続けました。
機械の音が、部屋を支配する
次に意識するようになったのは、家電の音でした。
冷蔵庫のモーター音。エアコンの室外機から伝わる低い振動。それらは、ブー、ブー、ブー……と途切れながらリズムを刻みます。
まるで機械が呼吸しているみたいだ、と感じました。一度その音に気づいてしまうと、部屋のどこにいても、その音しか聞こえなくなります。テレビをつけても、音楽を流しても、意識の端でずっと「あの音」が鳴り続けているのです。
さらに、上の階からの足音。
ドン、という不意の一歩。静寂を破って響く重い音。規則的ならまだ心構えができますが、いつ来るかわからない足音は、鳴るたびに胸をきゅっと締め付けてきました。「次はいつ鳴るだろう」と身構えている時間のほうが、実際に音が鳴っている時間よりずっと長く感じられました。
止められない、という恐怖
ここまで挙げてきた音は、どれも「普通」の音です。
生活していれば当たり前に発生する音であり、ほとんどの人は気にも留めないかもしれません。
でも、私にとっては違いました。
それらは「生活音」ではなく、静けさを壊す「侵入者」でした。
何より恐ろしかったのは、私にはその音を止める手段がなかったことです。
- 隣の部屋の人に「静かにしてください」とは言えない
- 上の階の人に「足音を立てないでください」とお願いするわけにもいかない
- ベランダの物を片付けるのは、私の管理範囲ではない
雨は止められない。風も止められない。必要な家電も止められない。
自分ではどうにもできない音に囲まれている──その感覚が、私を少しずつ追い詰めていきました。
「逃げ場がない」という感覚
一人暮らしの部屋は、本来なら安らぎの場所のはずです。
でも、私にとっては「音が待っている場所」になってしまいました。
外にいるときは、まだましでした。街の喧騒は予測できる音が多いし、移動すれば環境を変えられます。でも、家の中の音からは逃げられない。自分の部屋なのに、くつろげないのです。
帰宅するのが怖い、と感じ始めたのは、この頃からだったと思います。
玄関のドアに手をかけるとき、「今日はどんな音が聞こえるだろう」と身構える。部屋に入った瞬間、まず耳を澄ませてしまう。
当時の私は、この感覚に名前がつくとは思っていませんでした。ただ、「自分は音に弱いんだ」「神経質なんだ」と、漠然と自分を責めていただけでした。
この記事のまとめ
- 一人暮らしを始めて初めて、「生活音」が「侵入者」のように感じられるようになった
- 風や雨、機械音、足音など、止められない音ほど強いストレスになりやすかった
- 「自分の力ではコントロールできない音」に囲まれている感覚が、「逃げ場がない」という恐怖につながっていた
この記事ではまだ、「身体には何が起きていたのか」については触れていません。ただ、確かに音に対する反応は存在していて、「気のせい」「わがまま」だけでは説明できないものだった──今振り返ると、そう言い切ることができます。
次回予告:身体が勝手に反応する──それは「気のせい」ではなかった
次回は、音に気づいた瞬間に起こる「身体の反応」についてお話しします。
呼吸が苦しくなる。心臓がバクバクする。全身がゾワゾワする──。
そんな反応は「気のせい」ではなく、確かに身体の中で起きていることでした。
同じように音で体調が悪くなる人にとって、「自分だけじゃなかった」と感じてもらえる回になればと思っています。
このシリーズについて
この記事は、ミソフォニア(音嫌悪症)当事者である筆者の体験をもとにした連載の一編です。
同じように音に悩んでいる方、身近な人の感覚を理解したい方に向けて発信しています。
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